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貧乏ラウのプレイ [昔話]

昔話でも

現役当時間違いなくラウ使い最強、VF2全キャラで最強の時代もあった貧乏ラウさんは、ハイテクランドセガ国分寺で無名のプレイヤーでしか無かった自分が強くなるきっかけとなった人です。
基本的な部分は、お手本にしつつ彼のラウとはまた違う自分なりのラウを模索して、強さ的な話で最終的にはかなり良い所まで追いつけたと、自分ではおもっています。
追いついたというと語弊がある、結局彼にはいろんな意味でかないませんでした。直接対決的な意味でもぜんぜん負け越してます、ラウでは2番手だったと思いたい(笑)

今考えると彼の強さを表現するのって結構難しいんですが、セオリーから外れない圧倒的な安定感、プレイのブレが少なかったですね、綺麗で、シンプルで、無駄がなく、ミスが無く、バランスよく、格下に負けることなく、フェアで、大会でも強い。恐ろしく強い教科書みたいなプレイとでもいいましょうか。べた褒めですね笑
自分はコマンド入力が下手で、レバーが変わるだけで不安定になりますし、大会なのに、余計なことをして格下に負けたり多かったです、大会でのメンタルコントロールも下手でした。

彼がサブキャラのアキラを使ってる動画がのこっていますが、アキラのプレイでも同様の動きをしていますね。
明大前の人たち(後期、青梅、国分寺含め)のプレイスタイルをストロングスタイルなどと呼びますが、彼のプレイが王道のストロングスタイルだと自分は思っています。


うる覚えなんですけど、彼との出会いはたぶん、
ハイテクランドセガでなんかの大会があった後初めて貧乏ラウのプレイをみました。
当時の自分はシステムの理解度が全然なくて、ハイテクセガ国分寺の中では強くても、2Pがすかってもお構いなしで斜上ぶっぱなしてるようなある意味、キャラ勝ち、量産型のラウだったわけです。
彼は当時すでに基本的なシステムの理解をしており、あ、これはレベルが違うと愕然としたと同時に何をしてているのかと彼のプレイを観察すると2Pすかしての打ち返しの2Pカウンターとかしてるんですね。この出会いと、きっかけから、私の基礎システムの理解が一気にすすみました。

そのあと急速に、明大前と国分寺、青梅ビーサン吉祥寺ジャエイなんか含め結びつき、どんどんお互いに強くなって5回アテナ杯に繋がっていくわけですが、まあこの辺の話はおいておいて、別の角度からもうすこし彼(貧乏)のプレイがわかる話をしたいと思います。


世間はVF3になっていた時期、某氏のお家で、彼とPS2のグランツーリスモ(レースゲーム)にはまってました、自分はライセンスをオールゴールドにしたりプレイ時間は彼より2倍は長かったと思います。
ローカルの画面上下2分割で対戦ができたので彼とレースをするんですが、自分の方がファステストラップは早くても、トータルすると、ミスが多くて最終的には、彼に負ける事が多かったです、、自分のスープラをカスタムした車と、彼が好んで使ったカスタムNSXとでは、そこまで、性能の差はなく、NSXはコーナーでの荷重移動が難しいけれど、乗りこなすとコーナーが早い、自分のスープラはFRらしい素直な操縦性とストレートの速さだった記憶があります、もしかしたら、自分の車の方が早かったかもしれないですが、まあ、正確にはわからないです。当時ゲーム雑誌に載っていたファステストラップより早いタイム出してた覚えがあるんで、そこそこ高いLVでの対戦です、後続車のハンデブーストがすごかったような記憶もあります。

とにかく、操作の難しいNSXをぶつけたり、車をぶつけてくるようなダーティーな行為もなく、ミスすることなく、ラインを綺麗にトレースする彼の安定した操作をみて、VF2の彼のラウのプレイに通ずるものを感じました。

(追記)自分の方がタイムは早かったの部分には、彼のタイムを追い越すためにはミスをするくらい攻めないと追いつけないって意味と自分がミスが多いって意味の二つで、彼のタイムは基本的にすごく早いLVで安定していました。

何十年もあってないですが、彼含め、みんな元気かな
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